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「PIXY!!」それとわが軍の話 [サッカー]

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名古屋18年目の初Vピクシー泣いた/J1

 ドラガン・ストイコビッチ監督(45)率いる名古屋が、リーグ創設18年目の初制覇を粘り強い勝利で飾った。湘南を1-0で下し、鹿島が神戸と引き分けたため、3試合を残して頂点に立った。現役時代は「ピクシー」の愛称で親しまれ、華麗なプレーでけん引したが、現役では成し得なかった優勝を、古巣の監督に就任して3年目でつかみ取った。

 両手で顔を覆ったまま宙に舞った。合計3度。優勝が決まった瞬間は大きなガッツポーズをしたストイコビッチ監督は、胴上げされて、泣いた。選手で丸7年、監督として3年目。ずっと優勝を追い求めてきた。あふれ出る涙は、両手でも隠しきれなかった。  「グランパス史上初の、本当に素晴らしい瞬間だった。心の底から感動的な、思いがわいてきた。(胴上げで)顔を隠した訳も、理解してもらえるだろう」。

 優勝会見でこう説明すると、左手親指でまた涙をぬぐった。  J2降格が決まった格下湘南に苦しむ。シュート17本を浴びGK楢崎を中心に踏ん張る。後半21分、FW玉田が頭で決めた。今季の勝負強さを象徴する1-0での勝利だった。  08年に低迷する古巣の監督に就任した。クラブ初のOB監督は、ミーティングを好まない。選手を信じ「サッカーは楽しむもの」と言い続けていた。だが「優勝」と公言し、闘莉王ら大型補強で臨んだ3年目の今季は変わった。  今季初めて逆転負けした5月の浦和戦から2日後、クラブハウス内に選手を集めた。失点シーンの映像を示し選手を名指しでなじった。「次は絶対にこんなプレーをするんじゃない。命を懸けて戦え! お前たち、キンタマはついてんのか」。就任後最長の90分間も、怒りをぶつけた。

 命を懸けて戦え-。90年代、母国は内戦に揺れた。国連決議により、絶頂期だった94年W杯米国大会に出場できなかった。両親が空爆にさらされる苦境など紛争が絶えない。身近に戦火があり、政治的、理不尽な形で活躍の場を取り上げられた。日本人とは全く違う環境で培った強烈なメンタリティーが、チーム内の負け犬根性を一掃した。  厳しい一面の裏で、自然な振る舞いで選手の心をわしづかみにする。中断期間の6月。飛騨古川キャンプ中に選手に生ビールを振る舞った。休日前夜の夕食会場にサーバーを手配。自腹で2樽(たる)、約24リットルを支払い「みんながハードワークしてくれた。飲んで話して、リラックスしてほしい」と言った。チーム内での公然の飲酒はタブー。戸惑いをみせる選手の前でジョッキをあおった。狭い食堂は選手、スタッフ、フロントまで一緒になった宴会会場になった。

 信条はチームスローガンにもある「ネバー・ギブ・アップ」。いつどんな時でも「物事はすべてが難しい。ただ、すべてが実現可能なんだ」と言う。“万年中位”とまで呼ばれた古巣の監督就任会見で、大見えを切った。改革への自信を問われ「ピクシーがやると言ったら、やる」と-。3年かかったが、言葉通りにやってのけた。

【八反誠】  [2010年11月21日9時14分 紙面から]

「ピクシー死ぬほど好きだけど名古屋の優勝はちょっと…」なんてつぶやきまくったけど、いざ彼の喜ぶ姿を見たら素直に「おめでとう」って気になった。

思えばオレがJの試合を観るのにスタジアムに足を運ぶようになったのは彼の存在があったから。
そう、だから東京を応援するようになった事も彼のプレーを見なかったらなかったわけで。。。

ただ…それはそれ。

明日は負けられない…っていうより勝たせて~[もうやだ~(悲しい顔)]
週末に山形との試合も控えてるけど、もし彼らが明日の京都戦で勝ち点を落とそうものならハンパじゃない気合でかかってくるはず。
(ここ最近の得点力はなかなかのもの…)
そういう意味では京都戦をモノにする事前提だけど、あしたが山形戦以上に重要な試合なわけさ。

まっ、現地行けないしエラそうな事を言うのはここまでって事で。。。


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